それは、今年の4月の一時帰国から既に始まっていた。。。

その1年前から比較すると父の姿は大きく変化していたのだ。

俺が帰国する時には、空港まで車を運転し、迎えに来ていたが、今年に限ってはそれが叶わなかった。

家に到着して、茶の間に入ると、そこにはゲホゲホとせき込む父が座っていた。
俺を見て”よぐ来たな”と言ってくれた。

タイに戻り、暫くしてから母からの電話で、施設に入居させたと連絡があった。
それから度々電話をして様態を伺うものの、決して良い方向では無い事は聞いていた。

ただ急激に悪くなるようでも無く、飯は食べるし話もできるようだった。

そして土曜日の朝に電話が鳴った。
珍しく兄の電話番号だった。

俺は察知した。。。

電話の内容は、具合が急変し、危篤であると言う。
やはりそうだったか!

俺は直ぐに切符を取った。
翌日の夜便が精一杯だった。

そして夕方。。。

兄が泣く電話が入った。

親の死に目に会えないバカ息子となった瞬間だった。

翌日の日曜日は両替に走った。

BTSナナ駅に降りて、バーツを円に両替してくれる店を探した。

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虱潰しに探してやっと出来たのは、アソークのロビンソンの1階の店だった。

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いざ!雪国へ。。。
複雑な気持ちで夕焼けを眺める。
再び戻って来た時には、俺はどうなっているんだろうと思った。

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満席の羽田便は順調に飛行し到着した。
そして恐らく朝一番の秋田便に搭乗が出来た。

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こんな悲しい気持ちで観る富士山は初めてだ。

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雪の秋田空港に到着。

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バスに乗って市内へ。

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今現在我が家は、市の区画整理事業によって、家は解体されて更地に。。。
父が育てていた僅かな庭の木は残されていたが、もう父は居ないのだ。

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その為に母は、市が用意した仮設の住宅に、段ボール箱に囲まれて住んでいる。
来年の秋とされる、新居の完成までの辛抱。

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寝るスペースは充分ではあるが、段ボールを開くのも煩雑になると考え、俺は駅横のホテルに泊まることに。

仮設までは徒歩5分。

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父の遺体は、葬儀会場に安置されていた。

そこで母と会い、少し話をした。
そして、棺に納められた父の顔を見た。。。

安らかな眠り顔だった。
綺麗な顔だった。

でも、あれから更に痩せていた。

そこで、込み上げてきたものは。。。

申し訳なかったという気持ちと
ただただ。。。
感謝感謝の気持ちだった。

本当に今まで有難う。

それから翌日の葬儀の件で葬儀社の方々と打ち合わせ。

その日は、俺は父が安置された部屋で寝た。

ぐっすりだった。

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翌朝も雪。

その日は、焼き場へ行き、葬儀も行われた。

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その日は、兄も酒を飲んでいたのでホテルには歩いて行く事に。

驚いたことに、上の写真は午後の4時半前。
日本の12月とは、こんなんだった??
こんなに日が短かったか。。。

この時期の日本は恐らく十数年ぶりである。
忘れていた。

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この日も夜は雪。

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考えてみれば。。。

ゆっくりと落ちてくる雪を見たのも十数年ぶりである。

”しゅんよぉ~たまには雪でも見に来いやぁ~”

そう親父に言われているようで。。。

そこでも、感謝感謝。

涙涙の帰り道でした。

84歳の大いなる素晴らしい生涯でした!!
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