”しゅんさん!日本からお土産買って来たから会社に遊びに来てよ~”
俺の元同僚からの電話。
タイで事務所を開設し、その立ち上げの為に奮闘した、その時の同僚。
久々に、タイへ出張で来たのだ。
今回の目的は、プレス機械の販売促進。
17年前に、シンガポール支店の出先機関としての仮事務所から、本格的に支店として立ち上げる為にタイへ来て一緒の釜の飯を食った。
年も同じ。
経済発展が激しいタイで、顧客発掘の為の”ゴーゴーローラー作戦”と銘打って全員で遅くまで働いた。
俺は、当時パソコンでリレーショナルデーターベースを使って、営業の下支えが出来るシステムを構築する為に奮闘した。
日本の本社で働いていた頃は、管理の為のシステム作り。
しかし、一旦最前線に出ると、売る為の顧客情報作りをする事が重要となり、今までとは180度考えを変えた思考に苦労した。
当時タイでは、トヨタ車では、カローラとコロナが生産されていた。
カムリは、オーストラリアからの輸入だったと思う。
主にプレス機は、家電向けのお客さんに売れていたと記憶する。
そんな彼と、久々にタイで会った。

”しゅんさんね。実は6年前にもタイに出張で来てたんだけど、その時は、販売促進目的じゃ無かったんだよ”
話を聞くと、機械を中国で生産するようになったと。
実は、俺の出身会社は、元はオーナー会社。
絶対的な人間1人のアイディアで機械を製造し、他社との違いを売りとして伸びた会社。
鉄の薄板をレーザー切断や、曲げを行なう機械を現在も主力としている。
他社と比較が難いプレス機械は製造ノウハウを、会社ごと買い取って吸収した。
そんな歴史が有る。
プレス機械は構造が比較的単純が故に性能では多くのメーカーが肩を並べる状況にあり、価格の安さが、絶対的な魅力にもなるのだ。
”しゅんさん。この機械ね、中国でOEMで作ったんだよ”
”従来より3割程安く売れる”

”でもねぇ!十数年前のデーターを使って、お客さんにコンタクトすると、もう、そこに会社は存在しないんだよ”
と!彼は嘆く。
そうだ。。。
あれからタイは大きく変わった。
港と言えば、川に面したバンコク港が主流だった。
今は、海に面したレムチャバン港である。
高速道路も作られた。
それに比例するように多くの工業団地が開発された。
バンコク周辺は、工場が減り、ショッピングモールやマンションが立ち並んだ。
ピントーン工業団地なんて、あんなに小さかったのに今じゃ大工業団地になろうとしている。
”データーの更新って大切だよなぁ~”
元同僚から出る言葉は、嘆きばかり。

”それからさぁ~、何軒か知ってるプレス屋さん周ったんだけど、殆どが車の部品作りに変わっているんだよなぁ~”
”中国で安い機械を作れるようになって、タイ市場をテコ入れしようと思って来たけど、昔のタイと違うなぁ~”
本当に嘆きばかりなのだが、その言葉の中には、ここまで成長したタイへの愛しさも感じるのだ。

彼との想い出。。。
彼は、タイで知り合った女性と結婚した。
”オッパイが大きかったから”
と!結婚式で照れた姿が印象的だった。
新婚生活が始まり、直ぐに子供が奥さんのお腹にできた。
7か月目に入った頃だったろうか?突然に彼から、震えた声で、電話が入った。
”しゅんさん。嫁が早産して今、病院に居る。助けに来てくれないか?”
日本人一人で、どう対処して良いか判らない悲痛な叫びだった。
病院へ着くと、彼は言った。
”しゅんさん。女の子が生まれた。。。だけど860gしかない”
え?
その時、俺は初めて掌に乗れるくらいしかない姿の子供を見た。
そこには、喜びよりも、ひたすら頑張れという願いしか無かった。
頭も、顔も、腕も、手も、指も、脚も。。。
悲しい位に小さかった。
切ない気持でいっぱいだった。
彼の気持ちも痛いほど判った。
病院の技術に頼るしかないのだ。
此処は、タイである事を痛切に感じた。
彼は、数日間病院で過ごした。
俺も、毎日病院へ行って励ました。
そして。。。
数日後に、初めての子供は天に飛び立って行った。
”日本だったら助かったのだろうか。。。”
彼は、呟いた。
何も返す言葉が無かった。
そして、お寺で葬儀をした。
遺体は荼毘にふされた。
出て来た彼が言った一言。。。
”しゅんさん。体が小さすぎて骨まで燃えちゃったよ。。。”
涙が止まらなかった。
これから、タイで生きていけるのだろうか。
そんな事を、考えた時代でもあった。
数年後。日本に帰国した彼は、元気な子供が生まれ、今では奥さんと3人で暮らしている。
タイも、素晴らしく成長した。
本当に良かった。
”おかげで、再びゴーゴーローラー作戦だな!”
そんな昔話で尽きなかった。
別れ際に彼は言った。。。
”あの頃は、日本の景気も良かったし、元気もあった。タイで働いていた頃も、その勢いで頑張れた。酒も良く飲んだ。カラオケ行って、何とかちゃん可愛いとか言って遊んだよな~タニヤにも行ったなぁ~でもタイは随分と変わったよなぁ~素晴らしい”
”ところで、しゅんさんよ!今回の1ヶ月滞在の出張でわかった事”
”俺は浦島太郎みたい”
だとっ!
そうだよ!お互い白髪増えたしな!
2人で大笑いでした。
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俺の元同僚からの電話。
タイで事務所を開設し、その立ち上げの為に奮闘した、その時の同僚。
久々に、タイへ出張で来たのだ。
今回の目的は、プレス機械の販売促進。
17年前に、シンガポール支店の出先機関としての仮事務所から、本格的に支店として立ち上げる為にタイへ来て一緒の釜の飯を食った。
年も同じ。
経済発展が激しいタイで、顧客発掘の為の”ゴーゴーローラー作戦”と銘打って全員で遅くまで働いた。
俺は、当時パソコンでリレーショナルデーターベースを使って、営業の下支えが出来るシステムを構築する為に奮闘した。
日本の本社で働いていた頃は、管理の為のシステム作り。
しかし、一旦最前線に出ると、売る為の顧客情報作りをする事が重要となり、今までとは180度考えを変えた思考に苦労した。
当時タイでは、トヨタ車では、カローラとコロナが生産されていた。
カムリは、オーストラリアからの輸入だったと思う。
主にプレス機は、家電向けのお客さんに売れていたと記憶する。
そんな彼と、久々にタイで会った。

”しゅんさんね。実は6年前にもタイに出張で来てたんだけど、その時は、販売促進目的じゃ無かったんだよ”
話を聞くと、機械を中国で生産するようになったと。
実は、俺の出身会社は、元はオーナー会社。
絶対的な人間1人のアイディアで機械を製造し、他社との違いを売りとして伸びた会社。
鉄の薄板をレーザー切断や、曲げを行なう機械を現在も主力としている。
他社と比較が難いプレス機械は製造ノウハウを、会社ごと買い取って吸収した。
そんな歴史が有る。
プレス機械は構造が比較的単純が故に性能では多くのメーカーが肩を並べる状況にあり、価格の安さが、絶対的な魅力にもなるのだ。
”しゅんさん。この機械ね、中国でOEMで作ったんだよ”
”従来より3割程安く売れる”

”でもねぇ!十数年前のデーターを使って、お客さんにコンタクトすると、もう、そこに会社は存在しないんだよ”
と!彼は嘆く。
そうだ。。。
あれからタイは大きく変わった。
港と言えば、川に面したバンコク港が主流だった。
今は、海に面したレムチャバン港である。
高速道路も作られた。
それに比例するように多くの工業団地が開発された。
バンコク周辺は、工場が減り、ショッピングモールやマンションが立ち並んだ。
ピントーン工業団地なんて、あんなに小さかったのに今じゃ大工業団地になろうとしている。
”データーの更新って大切だよなぁ~”
元同僚から出る言葉は、嘆きばかり。

”それからさぁ~、何軒か知ってるプレス屋さん周ったんだけど、殆どが車の部品作りに変わっているんだよなぁ~”
”中国で安い機械を作れるようになって、タイ市場をテコ入れしようと思って来たけど、昔のタイと違うなぁ~”
本当に嘆きばかりなのだが、その言葉の中には、ここまで成長したタイへの愛しさも感じるのだ。

彼との想い出。。。
彼は、タイで知り合った女性と結婚した。
”オッパイが大きかったから”
と!結婚式で照れた姿が印象的だった。
新婚生活が始まり、直ぐに子供が奥さんのお腹にできた。
7か月目に入った頃だったろうか?突然に彼から、震えた声で、電話が入った。
”しゅんさん。嫁が早産して今、病院に居る。助けに来てくれないか?”
日本人一人で、どう対処して良いか判らない悲痛な叫びだった。
病院へ着くと、彼は言った。
”しゅんさん。女の子が生まれた。。。だけど860gしかない”
え?
その時、俺は初めて掌に乗れるくらいしかない姿の子供を見た。
そこには、喜びよりも、ひたすら頑張れという願いしか無かった。
頭も、顔も、腕も、手も、指も、脚も。。。
悲しい位に小さかった。
切ない気持でいっぱいだった。
彼の気持ちも痛いほど判った。
病院の技術に頼るしかないのだ。
此処は、タイである事を痛切に感じた。
彼は、数日間病院で過ごした。
俺も、毎日病院へ行って励ました。
そして。。。
数日後に、初めての子供は天に飛び立って行った。
”日本だったら助かったのだろうか。。。”
彼は、呟いた。
何も返す言葉が無かった。
そして、お寺で葬儀をした。
遺体は荼毘にふされた。
出て来た彼が言った一言。。。
”しゅんさん。体が小さすぎて骨まで燃えちゃったよ。。。”
涙が止まらなかった。
これから、タイで生きていけるのだろうか。
そんな事を、考えた時代でもあった。
数年後。日本に帰国した彼は、元気な子供が生まれ、今では奥さんと3人で暮らしている。
タイも、素晴らしく成長した。
本当に良かった。
”おかげで、再びゴーゴーローラー作戦だな!”
そんな昔話で尽きなかった。
別れ際に彼は言った。。。
”あの頃は、日本の景気も良かったし、元気もあった。タイで働いていた頃も、その勢いで頑張れた。酒も良く飲んだ。カラオケ行って、何とかちゃん可愛いとか言って遊んだよな~タニヤにも行ったなぁ~でもタイは随分と変わったよなぁ~素晴らしい”
”ところで、しゅんさんよ!今回の1ヶ月滞在の出張でわかった事”
”俺は浦島太郎みたい”
だとっ!
そうだよ!お互い白髪増えたしな!
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コメント
コメント一覧 (10)
本ブログ記事。とても良い話です。少々、感動しました。
昔、しゅんさんの同僚だったお友達とのエピソード。特にお友達の初めてのお子さんの話には、ちょっと感動しました。
昔からの親友というものは、本当に良いもんですね。
しゅんさん、又、そのお友達の人柄の良さが、よく解りました。
今日のブログ記事は、最高です。
お疲れ様です。
どうもご無沙汰しています。
話の内容をお伺いしてますとこちらも頑張らねばと勝手に思ってしまいました(笑)。
こちらは大分寒くなりましたが、身体に気をつけてくださいね。
コメント有難うございます。
日本だったら命は助かったのか?
それを考えると切ない出来事でした。
会社の命令とは言え、海外で住み始めた際に出会った悲しい出来事です。
今、彼には11歳の男の子が居ます。
とても元気です。
コメント有難うございます。
今年のバンコクは暑いです。
私にとっては、寒さも恋しいです。
人生、いろんな事ありますが、お互い頑張りましょう。
10年後も、また新しいご友人ともども、笑いあえるといいですね。
素晴らしい人生に乾杯!!
コメント有難うございます。
本当は、楽しい想い出で語り合えたらば良いのでしょうが、どうしても悲しい事が思い浮かびます。
10年後は、どんな事で語り合っているのでしょうね。
同じように日本なら?って考えましたが、次の子を授かってからは考えが変わりました。
「流産した子が、お母さんのところに弟達を連れてきてくれたんだなぁー」とプラスに受け止めるようになりました。
たまにバンコクに出ると、私も浦島太郎子になった気がします(笑)
コメント有難うございます。
友人も同じ考え方だと思います。
ただ、タイ滞在では、子供が授からず、日本へ帰ってから授かりました。
海外暮らしさんは、強いですね!
毎週末の夜、まとめてしゅんさんのブログ読むのが習慣となっています。
いつも楽しませていただいています。
ただ今回は他の方のコメントにもありましたが、
涙腺緩みました。いいお話ですね。
自分も中国にいた時に戦友と戦ったこと思い出しました。
年末でお酒の機会が多いと思いますが、
肝臓お大事に。
いち
コメントを有難うございます。
私も、記事を書いていて、当時を思い出して涙腺が緩みました。
書いて行くにに連れて、どんどん当時の想い出が溢れ出てきました。
本当であれば、もっと書きたい内容が有ったのですが、纏めるのが大変でした。
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さんログアウト
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