しゅんです。

30代後半に差し掛かる頃にタイへ赴任者として来ました。

なまはげ

工業大学を卒業して、神奈川県の機械メーカーに就職しましたが、専門以外だった為に、情報システムといった部署を希望しました。

大型コンピューターで社内システムを担当して、各部署との繋がりを持ちました。

20代後半に、大型コンピューターの刷新するに関して、システムの再構築の一部を任され、残業続きで大変な思いを経験したのですが、何とか達成しました。

その頃から世の中は、海外進出へと流れは進み、会社においても英語教育が始まりました。
私は、社内システムに所属していたので、その英語教育の勧めに逆らい続けていました。
海外へ行って仕事をしたい希望は全く無かったからです。

なまはげ

或る日の事、部長に呼ばれて部屋に入って言われたのが。。。

『今度ね、海外システムの課を増設する予定なのだけれど、君が所属してくれないか。』

何で俺が?
そんな気持ちを持ちながら逆らえず、欧州出張を数年間継続しました。

本当に疲れる毎日で、心身は苦痛の連続でした。
何故に俺が海外を担当させられたのか。。。
そう思う日々でした。

なまはげ
これが、最後の欧州出張である計画が持ち上がり、その心に打ち勝つためにと、タイに仕事で滞在する友人に誘われてタイ旅行に来ました。

皆が、同じような肌をしていて、街の雰囲気に愛着を感じ、更に海辺へ出かけた時には、爽快感も感じました。

最後の欧州出張が終了。
そんな時に、会社を退職して旧友と一緒に会社を立ち上げる仕事をするも。。。
半年しか持ちませんでした。

神奈川県に戻ってブラブラしていると、旧会社の偉い方から電話が入りました。

『しゅん君さ!バンコク事務所を立ち上げたんだけど、貴方も赴任してパソコンのRDBを使って戦略的な販売支援のシステム作らないか?』

その誘いに、タイなら仕事が出来る!

そう思って二つ返事でタイへ来ました。

それから、約5年。

なまはげ

帰国命令が出て、一旦は帰国。
しかし、一度辞めている会社なので、戻っても職場は復帰せずにアルバイトに従事してた頃がありました。

そんな時に、タイ進出を考えていた人からの誘いで、再びタイへ来る事になりました。

それからの、数年間は辛い事ばかりでありましたが、今となれば勉強の日々でした。

タイを知る事によって、それが日系の会社では、余計な事と嫌われる日々で、自分の表現に希望を失った時期もありました。
なまはげ

見かねたタイの先輩から紹介されたのは、今の会社。

タイローカルの会社で、日本人は私一人だけ。

入社は、悩みませんでした。

そして、私は解放されたのでした。

そんな日を重ねていると、或る方からブログを紹介されました。

何故だろうか?

始めてしまったのです。

継続などとは縁も無い私が。

不思議です。

そんな私がブログで出来るのは、私の生活を通して読者に勇気を与える事です。

それが可能ならば嬉しい。。。

なまはげ

 そんな日々です。

山あり谷ありでした!!
そう思った貴方は4箇所クリック!m(。-_-。)m お願いしますっ!
  ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓  ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓  ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓   ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

タイ・ブログランキング
にほんブログ村 海外生活ブログへ